うまくいかないからだとこころ

当ウェブサイトについて

「うまくいかないからだとこころ」HP管理者の尾藤誠司です。駒沢にある東京医療センターという総合病院で内科医をしています。

このHPは、「うまくいかないからだとこころ」をテーマにしながら、これからの社会と自分との関係や、自分の体とヘルスケアとの関係などについて情報発信をしたり、本HPを来訪していただいた方々と一緒にいろんなことを考えたりするために開設しました。

この「うまくいかないからだとこころ」というテーマは、私が現在科学技術振興機構(JST)より受託している研究事業”「内省と対話によって変容し続ける自己」に関するヘルスケアからの提案”という事業の一環として開設しました。この事業については別途テキストで紹介したいと思いますが、「内省と対話」「自己変容」というものを考察していく中で、「うまくいかないからだとこころ」を見つめることが重要なことなのかもしれないという考えが私の中から沸き上がってきました。

私は、内科医としてヘルスケアサービスにもう四半世紀以上従事しています。そして、内科医の看板をしょいながら生活していく中で、ヘルスケアだとか医療だとかが特性として持っている「変な認識」というのが存在していて、それが実はヘルスケアそのものをややこしくしていると私は常々考えています。例えば、多くの医師(特に私のような内科医)は「少しでも長生きをすること」がどんなことよりもずっと高い価値であると信じています。ですから、接客の仕事でどうしても不規則な食生活になってしまう人に対して「仕事をやめましょう」というようなことをあまり配慮なくいってしまうことがあります。もちろん「少しでも長生きをすること」は、人間にとってとても重要なことなのですが、たとえば、多くの友人たちとともに楽しく暮らすなど、人生におけるそれ以外のことにまるで価値がないかのような考えを患者さんに押しつけようとしたりすることが少なくありません。

そして、ヘルスケアとか医療とかが持っている変な前提認識の中に「うまくいっているのがあたりまえ」というのもあるのだと思います。医療における「うまくいく」というのは、例えば病気がないとか、体に痛みがないとか、元気はつらつ、とか、検査の数字が全部正常、とかです。そういう「何もかもうまくいっている状態」をデフォルトとしてとらえるのが医療の基本スタンスなので、その状態でないことは「何か良くないことが起こっている」という風に解釈されるのです。そして、そのよくない状況は医療によって修繕され、デフォルトに戻されることが「正しい行い」とみなされます。

ですから、病院に患者さんとしてやってきている人たちは、医療者にとっては修正の対象としてみなされているわけです。さらに言うのなら、修正のゴールは医療者によって定められ、そこに最短距離で向かっていくことが良しとされます。

私も、内科医として20年以上、今ここに書いたようなことを信じてきたところがあります。高い血圧や血糖値は医学によって定められた正常値範囲内にまで低くならないといけないし、見つかったポリープは切除されなければならない。痛いのもかゆいのも消さないといけない。まっすぐ歩けないならまっすぐに歩けるように患者さんに頑張ってもらう。これが医師の務めと信じてきましたし今も割と信じているわけです。

そんな中で最近「まてよ??ひょっとしたらうまくいかないことのほうが当たり前で、うまくいってるほうが変なのでは?」という問いが私の中に出てきました。そして、「いかにうまくいかない状態をうまくいくように修正するか?」というアプローチでまさにうまくいかないとき、「うまくいかなくて困ってしまう状況をいかにうまくいかないなりの人生を患者さんが歩み続けることを支援するか?」というアプローチがありそうだ、ということを考えるようになってきました。

こんなこと、「あたりまえじゃん」と感じる人は多いかもしれません。でも、私にとってはどうやら当たり前ではなかったのです。

実際、日常臨床においても、そうそううまくいくことなんて実はありません。だから、「うまくいかなくて困ってしまう状況をいかにうまくいかないなりの人生を患者さんが歩み続けることを支援するか?」というアプローチは実際にはたくさんの患者さんに対してたくさん考え、実践しているのです。ただ、これには「本来はうまくいくことに向かうことを前提としていて、そのアプローチに失敗した上での残念な結果」としてその方法をとっていたのだと思います。それはたぶん、私が「うまくいっていることはうまくいっていないことよりもえらい」という価値観に支配されているからなのだと思います。

ということで、このホームページフォーラムでは、もう少し「うまくいかないこと」を、「うまくいっていることからの欠落」としてとらえることから自由になった状態で見つめたり、考えたり、意見を交換したりすることをしたいと思っています。

「セルフケア」という言葉があります。例えば、無添加の食品を選んで摂取したり、血圧を毎日測ってグラフにしたりというようなことが一般的には「セルフケア」と呼ばれています。だとすると、これは結構医療者目線の言葉なのかもしれないと最近気が付きました。やはり「うまくいっていること」が本来の自分の姿であり、「うまくいっていないこと」は本来の自分ではない、というところから今呼ばれている「セルフケア」は出発しているような気がします。このフォーラムでは、「セルフケア」という言葉に新たな意味を見出そうと思っています。すなわち、「うまくいかないからだとこころ」と付き合わざるを得ない自分を愛でてみる、という意味での「セルフケア」です。

そして、実は「うまくいかない」のは、自分自身のからだとこころだけではなく、「あなたと私」だったりだとか、「あなたの中の私」だったりだとか、「私と社会」だったりとかも、まるでうまくいきません。いろんな「うまくいかなさ」をみつめながら、いい感じで「セルフケア」を適当に続けるような自分とか、そのセルフケアを支援する専門家の役割とかについて考えていけるとよいかと思います。