うまくいかないからだとこころ

AI/IoT時代の健康と医療

2020.02.08
近未来の医療者像【前編】―医療者の能力として重要でなくなること
この記事をシェアする:

本連載ではこれまでAI/IoTが社会実装された状況における健康のかたちやヘルスケアのかたちなどについて論考を続けてきました。おそらく、私たち人類がこれからの時代において「健康の問題」としてとらえる事象は大きく変化していくと私は考えています。そして、健康の問題の内容が大きく変化するなら、おのずとその問題を専門家として取り扱う医療専門職の在り方も大きく変わっていくと予想します。本稿では、AI/IoTにおいて医療専門職の在り方がどのように変化していくのか、さらには、その上で医療専門職がさらに身に着けていかなければならない労力はどのようなものなのかということについて論考したいと思います。特に、医療の専門家の中でもとりわけ「医学」に重点を置いた専門家である医師の在り方を中心に話を進めます。

今の専門家がしていること

この世界には「専門家」として社会経済に参入している人たちがたくさんいます。代表的な専門家としては弁護士、弁理士、証券マン、学校の教員などが想起されます。そして、おそらく医師はその中でも典型的な専門家の要素を持つ職業人でしょう。

専門家の特徴は以下のようなものだと思います。

  • ある特定の専門領域において卓越した知識や技能を持っている。さらには、その知識や技能に基づいて、クライアントが持つニーズを診断し、今後状況予測を行うことができる。
  • その職能において社会の役に立っている。
  • 免許、あるいは資格制度がある。
  • 独特の価値観が専門家のコミュニティの中で共有されている。
  • 社会において権限を持ち、専門的立場からクライアントに対して推奨を提示することを許されている。
  • 上記の特質から、しばしば「先生」とクライアントから呼ばれる。

専門家は、専門家にしか知りえない知識、さらには、専門家にしか解釈できない文脈の独占によって専門家足りえているし、その能力のために社会から頼るべき存在として位置づけられています。

医師がなぜ健康の専門家として社会に役立つ存在でいられるのかと言えば、それは、非常に解釈が困難な人間のからだの不調に対して、医学というかなり大きな知識体系を用いて分析的な視座とともに解釈し、そこに問題解決の方法を提示することができるからです。さらには、問題解決に向けたプロトコルを正確に実施する技術を持っているからだといえます。また、その能力は、その根幹に政治や信念とは独立した存在である「科学」によって支えられていることも大きな特徴です。だからこそ、医師たちはこれまで「医学の徒」として専門的知識を自らの中に蓄積し、その専門的知識を実践に応用するための診断技術や治療技術を研鑽してきた歴史があります。

「エビデンスに支配された医療」はパターナリズムと相性がいい

この数十年の傾向である「エビデンスに基づいた医療」の所作は、医学的知識と臨床上の知恵をつないでいく強力なツールであったと私は認識しています。一方で、クリニカル・エビデンスが臨床判断において重要視されるようになるに伴い、やや心配な状況も同時に存在していると私は考えます。例えば、診断アプローチの中で用いられている様々な診断アルゴリズム、あるいは、診療ガイドライン上の治療推奨に対して、専門家である医師側がその価値を至上と考えてしまい、アルゴリズム通りの医療が行われることを「正解」と認識するような傾向が少なからずある気がします。

このような傾向を持つ思考を私は「Evidencism」と呼んでいます。Evidencismは、前回に論考した「因果モデル」思考とも深く関連している思考様式ですが、もともと医師が患者との関係の中で持ちがちな「パターナリズム(家父長的態度)」と大変相性がよく、この相性の良さが厄介な問題を生んでいます。端的に言うのなら、クリニカル・エビデンスやそれに準拠されて作成された診療アルゴリズムに準拠することが「患者にとっての最善」であると考え、それに異を唱えるような意見をすべて「間違ったもの」と解釈するような思考パタンを専門家が持つ傾向が強まってしまう、という問題です。

あるアジェンダについての方向性を定めたり、ある決断事象について検討したりするうえで、当事者と比較して専門家の方が圧倒的に情報を持っており、専門家の方が適切に最善を選ぶための道筋を知っており、専門家が導き出した答えは常に当事者の選好よりも正しい、という考えを専門家が持つことは憂慮すべきことだと私は考えますが、この思考パタンや態度はまさに「あなたにとって最善となる道を、何も知らないあなたに代わって私が導いてあげる」というパターナリズム姿勢にぴったりフィットします。

さらには「強いエビデンスを持つ選択が善である」ということをサービス需給側も認識しだすことによって、決断の当事者も自らの決断を相対的なエビデンス保持の優位に立つ専門家に委ねすぎてしまう、という状況を生み出してしまっているかもしれません。そして、急速に発達しているセンシング/IoT/AI技術は、専門家と当事者との間にある情報勾配を埋めていく強力なツールとなる一方で、人や社会がEvidencismに溺れてしまう危険もはらんでいるかもしれません。

専門家を特徴づける能力ではなくなる能力

ここで、現在の医師が持つ能力中で、おそらく発達したセンシング技術+AIがその能力と同等、あるいはそれ以上のパフォーマンスを発揮することが予想されるものはいくつもあります。AIにとってもっとも獲得が容易な能力は、ある特定の疾患や治療に対しての知識をため込んでおく能力でしょう。さらには、患者の個別性を細分化して、細分化されたカテゴリに当てはまる患者に対して最も適切な治療法を知識プールの中から選別し、提示する能力です。この能力を高いレベルで求められる職業に特許の出願業務や鑑定業務を行う弁理士がありますが、弁理士の仕事のほとんどがかなり近い将来にAIにとってかわられるのではないかという意見がしばしばささやかれています。

ヘルスケア関連で似たような仕事としては、専門医によるセカンド・オピニオン業務があります。おそらく、現時点で多くのがんのセカンド・オピニオンについてはワトソンのような自然言語機能を持つAIが医師の代替をすることは十分可能だろうと私は考えます。年齢・性別・生活習慣、あるいは遺伝子情報などを含めた患者の個別化が詳細になればなるほど、その個別性に基づいた最適な治療法等を提示することについては、人間よりもAIの方が優れた能力を発揮するであろうと理論的には考えられます。

その他にも、医師の専売特許のような能力である一方AIが得意とする能力に、「現状を診断すること」と「その診断を基に将来の予測を立てること」があります。診断推論技術を語る際にしばしば出てくる単語である「ベイズ推定」は、機械学習が最も得意とする機能の一つです。もし病歴聴取や身体診察など、コンピューター科学の立場でいうところの「センシング」が卓越した医師と同じレベルで機械によって行われることが可能になったとしたら、センシングによって得られた患者さんの膨大なデータをプールし、目の前の患者さんが持つ疾患、あるいは鑑別診断のリスト化、その有病割合の詳細な推定を行うことは容易なことでしょう。

さらには、その診断に至るベイズ推定のプロセスによって、コンピューターは目の前の患者さんが近い将来、あるいは遠い将来に遭遇しうる重大な健康イベントの発生確率を、その誤差範囲も含めてかなり正確に推定することができるようになるでしょう。こうなってくると、今「診断の神様」みたいな医師がいたとして、その医師がこと「診断」と「健康イベントのリスク評価」に関してコンピューターに勝る部分があるとすれば、病歴聴取の一部や身体診察の一部など、生身の専門家がもつ卓越したセンシング技能くらいになってしまうかもしれません。

そしておそらく、センシングにおいても専門家よりも機械の方が優れている部分があると思われます。例えば、腱反射の診察など、神経学的な診察所見を得る事などは機械よりもほとんどの場合専門家が技能として優れていると思います。しかしながら、例えば5K解像度を持つWEBカメラは、人間の視診では到底観察し得ない身体情報をキャッチできる可能性があります。例えば、「救急外来を受診したこの患者が48時間以内に急変する確率」を査定する際、私たち医師はいくつかの方法を持っています。その中で、例えばベテラン救急医は、「この人はなんとなく急変するアピアランスがある」というような、テキストでは表現できないセンシング能力をしばしば持っていますが、このような能力はおそらく5K解像度のWEBカメラに軍配が上がるようになるでしょう。

1月2

「患者―医療者関係」から「患者―情報技術-医療者関係」へ

コンピューター科学は、そこで得られたデータを「コトバ」に変換することなく分析材料に加えていくことができるという強みを持っています。「うまくコトバでは言えない(例えば、OOリスクスコアでOO点とかとはいえない)けれども、この人はこのまま帰宅すると大変なことになる」という予測を立て警告することは、今まではベテラン救急医の専売特許でしたが、近い将来は救急医がコンピューターの警告指示に従い判断するような状況となると私は思っています。

センシング/IoT/AI技術が専門サービスにもたらす大きな変化の一つは、ある専門サービスを必要としている依頼者が、専門家を介さずに直接情報技術に対して直接アクセスを行うことができる、という部分です。情報技術を専門家の中だけに囲ってしまうようなことは通常功利的な方法とは言えませんし、現実的にも困難でしょう。専門サービス提供の関係は、“当事者―専門家関係”から“当事者―情報―専門家”のトライアングルの関係へ大きくシフトしていくことは必然であり、そしてその変化は、基本的に人々にとって喜ばしい変化であるといえます(図1)。

スライド1

図1.近未来の患者当事者-専門家-情報サービスの関係(作成:尾藤誠司)

現在もたくさんの人たちが様々なWEB上の健康情報にアクセスし、そこに書かれている健康情報に自分を照らし合わせています。ただ、現時点ではそこに書かれている情報を自分にどのように応用していくかについては、自分なりに解釈し個別化していくということにとどまっています。おそらく、近い将来にはクラウド上にある分析システムに自分のデータをアップロードすることで、個人個人がその個人のためにテーラーメード化された情報を直接得る時代になってくるでしょう。

例えば、「西田京子さん」という人が、WEBサイト「ChronicCondition.com」にアクセスし、WEBカメラで自分の生活を1カ月スキャンし、遺伝子データおよび採血結果などその他の健康情報をアップロードすることで、将来自分に起きうる健康脅威のイベントの可能性について詳細な予測情報を受け取る、というような状況は容易に想像することができます。さらには、それらの厄介な健康イベントが起きることを避けるため、生活習慣をどのように変えていくべきか、どのようなサプリメントを使用するべきか、定期的な検査をどのような頻度で行うべきかなどについての情報や、それらの工夫によって厄介な健康イベントをどのくらいのパーセンテージで回避できるのかなどについても分析し、専門家を通さず直接提示してくれるのではないかと推察します(図2)。

スライド2

図2. ChronicCondition.com(作成:尾藤誠司)

このように考えていくと、先ほど私が提示した最初の専門家の特徴である「ある特定の専門領域において卓越した知識や技能を持っている。さらには、その知識や技能に基づいて、クライアントが持つニーズを診断し、今後状況予測を行うことができる」という能力については、もはや専門家を特徴づける能力ではなくなるであろうと私は考えます。この能力の獲得については、人間はAIに勝ることはできないでしょう。では、医師や看護師の仕事はなくなってしまうのでしょうか?私は、医療専門職の仕事の総量はあまり変わらないかもしれないと考えています。仕事が減るのではなく、仕事の内容が大きく変わるのだと思います。

では、医療専門職の仕事は、そして役割はどのように変化していくのでしょうか?次回はその点を中心に考察するとともに、そもそも「病気」ということを個人や社会がどうとらえるかについての変化や、将来の医師教育の変化などについても論考したいと思います。次回が最終回です。

(イラスト:おおえさき)

この記事をシェアする: