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“うまから”ニュース

2023.04.19
[体調悪くて当たり前]素朴版テキスト_体調不良のあるある場面
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体調への向き合い方を考えるうえでとても重要なテーマは、体と心との関係をどのように認識しておくか、ということです。まずは、あるある診療場面を紹介したいと思います。

2年くらい前から、夕方になると頭痛が強くなり、肩こりも多くなってきたという方の事例です。最初は市販の頭痛薬などで対処していたのですが、いよいよ毎日のように頭痛になり、調子が悪いときには手足や腰の痛みも覚えるようになりました。そこで近所のお医者さんに相談をしたところ、「よくある症状なので、頭痛薬で様子をみましょう」と薬を処方されたのですが、いろいろ調べると、頭痛薬を毎日飲むとクセになるとか胃に悪いなどと書いてあるので、不安を感じつつ飲んでいました。しかし、なかなか改善しないのでお医者さんに相談すると、市民病院の脳神経内科を紹介されました。そこで脳のMRIの撮影や血液検査をしましたが、特に問題がないことがわかりました。脳神経内科の医師は、「脳に問題はなさそうですね。一般的に慢性頭痛の8割程度は緊張型頭痛といって、仕事のストレスや心身の疲労などによることが多いのですが、何か思い当たることはありませんか。」と言われました。「確かに最近は責任のある仕事も増えて不安になることも多いです。」と言うと、医師から「長く続くようなら、一度メンタルの問題も考えた方がいいので、精神科を紹介しましょう」と勧められました。心の病気だとは考えていなかったので驚いたのですが、勧められたので精神科に行くと、「うつではないですね。明らかに治療が必要な状態ではないと思いますよ」と診断されました。さらに脳神経内科で数回目の受診のときに、「今後はかかりつけの先生に診てもらってください」ということになり、結局モヤモヤしたまま何も解決せずに、体調も一向に良くならないままというエピソードです。こういうのはあるある診療場面です。

そこで、急性期病院の医者側、特に内科系の医者のロジックについて説明したいと思います。

まず、身体症状による体調不良の時、動悸であれば循環器内科にいくかもしれないし、頭痛や痺れであれば脳神経内科、下痢であれば消化器内科、息苦しさであれば呼吸器内科、めまいであれば耳鼻科にいくかもしれません。そういう時に症状を説明する病気はいろいろあります。動悸であれば不整脈やホルモンの病気が代表的ですし、息苦しさであれば喘息や心不全、肺が線維化してしまう病気など。頭痛であれば脳の腫瘍などが考えられます。医師は原因を探るために、特に初診という最初の見立てのときに様々な病歴を把握したり診察をしたりするのです。そして検査を予約します。検査は大きく分けると、病気を見つけることと、病気でないことを保証するという、2つがあります。もし診察で胃がんが疑わしいとわかったら、胃カメラで胃がんを見つけるのですが、一方で、習慣的に胃が痛む人について胃潰瘍でも胃がんでもないと考えるときには、医師はよく「器質的疾患がない」といいます。器質的というのは、具体的には、腫瘍があったり、粘膜に傷や潰瘍があったり、ばい菌が体の中に入って膿を作ったりというように、体の中に構造上の異変が起きている場合に、これを器質的疾患と言います。構造上目に見えない免疫の病気などは、ミクロのレベルでようやく細胞に傷がついていることが見えるのですが、それも含めて器質的疾患と呼びます。これを証明するためには、CTスキャンを撮ったり、皮膚に針を差して細胞を取って顕微鏡で見ることによって「器質的疾患がある」というのですが、逆に「ない」というのは、胃カメラやCTスキャンや細胞検査をしても、何も写らなかったということです。あるいは血液検査で免疫反応のような数値の異常が出なかった場合には、医療者は器質的疾患はないと確定的に解釈します。検査をする前に、医療面接という患者に対するインタビューや身体診察で大体当たりをつけていて、この人は器質的な病気があるとか、なさそうだという当たりをつけたうえで検査を組みます。ですから、器質的疾患がありそうだと思いながら検査をして、見つからなかったときには「おやおや」という感じになるのですが、器質的疾患がなさそうだというあたりをつけて検査をして陰性であれば、ほぼ確定的に「あなたには器質的疾患がないですね」という解釈をして、内科的な視点での病気はないという解釈になるんですね。しかし、ここで終わりはしません。なぜなら患者さんはやっぱり困っているからです。動悸やめまいはあるし、お腹も痛くて困っている。医師にはもちろん義務感がありますから、どのように応答するのかというと、大きく分けて2つあります。

1つは、「器質的疾患ではないけれども、機能的疾患である」という考えです。例えば、先ほどの胃潰瘍も胃がんもないけれど胃が痛むという人に対しては、「機能性胃痛症」あるいは「機能性ディスペプシア」という保険病名がちゃんと付けられています。また、お腹が痛いのは腸が動きすぎるせいだろうと仮説を立てたときには、「過敏性腸症候群」という保険病名があります。機能性ディスペプシアにしても過敏性腸症候群にしても、いわゆる器質的疾患として説明することができない時に、これは胃や腸が動き過ぎることによる痛みだろうというロジックを立てるわけです。そして、「あなたの病気は機能性ディスペプシアですね」とか、「過敏性腸症候群ですね」と診断し、消化器内科の領域で治療を始めます。これらの病気にはたいてい保険病名に準じて薬があります。薬で劇的に治ることは多くありませんが、体調が改善することはあるので、内科領域の薬として処方することで、内科の病気という関係性の中で治療が続けられます。

もう1つは、器質的病気がなく、機能的○○という病名をつけることも難しい場合です。お腹が痛いのなら上記のような病名がつくのですが、「お腹がなんだか変な感じがする」という感じだと病名がつきづらいですし、他には、動悸はするけれども脈は早くないとか、めまいはするけれども、どのめまい症にも明らかに当てはまらないような時には、病名をつけることが難しいです。そういう時には、「体には病気がありませんでしたが、あなたには体の症状があります。だとすると、症状は心のせいかもしれませんね」という仮説が立つのです。ただ、わかりづらいのは、「心の問題かもしれませんね」というのは、「うつ病かもしれません」とか「社会性不安障害かもしれません」という意味ではなく、どちらかというと「体以外の原因があるんじゃないですか」という意味のことがしばしばあるのです。なぜなら、内科医は精神科医ではないので、基本的には心の病気について具体的な診断をすることができません。ただ一方で、心の病気が体の表現として出ることがあるということは知っているので、器質的な病気がないことを確かめた後に、おのずと心の病気という仮説が出てくるのです。しかし、その仮説は具体性を持っていないので、「まずは精神科で診てもらったらどうですか」というのですが、それは具体的な意味で「あなたはうつ病かもしれない」というよりは、「私の領域における診断の範疇では病気がないですよ」という意味だと基本的には考えていいと思います。とはいえ、心の病気、うつ病やパニック障害や(正確にはパニック障害が心の病気だとは私は考えていませんが)、全般性不安障害などの病気によって体に症状が出ることもあるので、器質的病気が見つからず、内科医から「心の病気かもしれない」といわれたときには、やはり一度メンタルケアや精神科を受診してみるのがよいでしょう。

ただ、心の病気という意味でも具体性を持った範疇として診断がつかないことは少なくありません。すると、保険診療上の診断という意味では、「あなたは何の病気でもない」となりうるのです。

ここからが重要なのですが、内科医からみた器質的な病気がなく、精神科医からみた具体性のある心の病気もないけれども体の調子が悪い、ということには合理性がないかというと、そんなことはないということです。実際そういう人はとても多く、どのお医者さんからも「うちではない」といわれて、どうすればいいのかわからないということは、残念ながらしばしば起こるのです。では、どうにもならないのかというと、1つには、おそらく何かしら手立てはあるということ。もう1つは、具体的な診断はつかないまでも、何かしらの医療ができる手段は存在しうる、と私は考えています。これは後述したいと思います。

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