うまくいかないからだとこころ

“うまから”その1:新しい時代のセルフケア

2019.10.07
我々は完全な健康ユートピア創造を目指すべきか by 浅井 篤 他
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<<論考>> 「内省と対話PJ」分担研究者の浅井 篤さんを中心に作成した近未来社会の人と社会に関する論考です。

”我々は完全な健康ユートピア創造を目指すべきか:伊藤計劃著SF『ハーモニー』の世界からの教訓”

浅井 篤 大北 全俊 大西 基喜 尾藤 誠司

キーワード

伊藤計劃 空想科学小説(SF)スーパー医学 ユートピア ヘルシズム パターナリズム ルーチン化 自明の真理 非倫理的医学研究 中庸

 

要約

本論では伊藤計劃著の傑作SF小説『ハーモニー』(2008年)を取り上げ、本作品で描かれた世界と医療、人々のあり方を倫理的観点から分析し問題点を指摘した上で、我々は本作で描かれたような完全な健康ユートピアを現実世界で構築すべきかを問う。『ハーモニー』で描かれる未来世界は健康と生命の保全を何よりも優先すべき価値とするイデオロギーが浸透した世界で、人工知能(AI)、情報通信技術(ICT)とナノテクノロジー(nanotechnology)を含めた超高度医療技術を活用したスーパー医学が実現している。市民は健康のために自らを厳しく律することが社会的に求められ、常に自らの健康情報を公開し己の健康を常に証明し続けなければならない。健康維持のためのライフデザインが行われ、世界からは不健康な市民や疾患に罹患する人はほとんど消失した世界として描かれる。

倫理的観点から検討すると、この『ハーモニー世界』では健康崇拝と医療信仰が行き渡り、健康であることが倫理的と見なされ、健康であれという見えない空気による支配が浸透している。プライバシーはほぼ失われ、個人の信用に関わる様々な情報を公開することが責務とされる。医療は完全にルーチン化、自動化、「瞬時」化し、医療を受ける・受けないに関する自己決定の余地はない。共同体が極めて強力かつ隠微なパナーナリズムを浸透させ、人々の生き方と身体的状況は多様性を失い画一化している。健康によくないとされる嗜好品は次から次へと禁止されていく。社会的で自明な価値を受け入れられない若者の脳は医学的介入の対象となった。人々は社会のリソースとして常に大切にされる。

誰が考えても健康長寿は好ましい。しかし、我々はあらゆる犠牲を払ってでも、完璧に健康な社会を目指すべきなのか。我々は個々人の自由、プライバシー、情緒・情感・感情を含む自己意識や尊厳等を手放してでも、社会のすべての構成員が完全に健康長寿になる社会を追及すべきなのだろうか。我々は否と答える。なぜならあまりにも多くの価値あるものを失うからだ。本作の衝撃的な結末は個々人の自由な生き方や意思決定の尊重は健康長寿社会世界の存続を不可能にすると示唆する。これに対して我々はあくまでも個々人の自由な生き方と自発的な他者への配慮を大切と考える。筆者らは完璧を求めず「程々」であることが、未来型医療において大切だと主張する。

 

1 はじめに

天才的な想像力を駆使して創造された空想科学(Science fiction、SF)作品は未来の世界や人間のあり方について優れた示唆を提示し、我々はそれらから貴重なレッスンを得ることができる。今回我々は早逝した日本人作家伊藤計劃著の傑作SF小説『ハーモニー』(2008年)を取り上げ、本作品で描かれた医療体制と社会、そして物語の結末について倫理的観点から批判的に考察する。

小説『ハーモニー』は2009年の優れたSF小説に送られる我が国の第40回星雲賞(日本長編部門)および第30回日本SF大賞を受賞し、同時に「ベストSF2009」国内篇第1位を獲得している。2010年には英語翻訳(Translated by Alexander O. Smith, Harmony, 2010, San Francisco, Haikasoru)され、同年の米国フィリップKディック賞特別賞を受賞している。本作は悪性疾患のために闘病中の筆者が入院中に書いたものである。伊藤は2009年に34才の若さで肺がんのため他界した(伊藤計劃著『ハーモニー(新版)』(2014年、ハヤカワ文庫、東京)の佐々木敦氏のインタビューおよび解説より)。

現在社会は人工知能(AI)、情報通信技術(ICT)を含む高度医学と先端科学技術を用いて、本作で描かれた世界と類似した健康長寿世界を目指している。近年のAIやICTの急速な発達で、本小説同様の社会医療体制が近い将来に実現する可能性は低くない。同時に社会の健康志向は日々高まり、人々の心には疾病や老い、死に対する強い不安と恐怖が存在していると感じられる。したがって本作品を詳細に分析することで、スーパー医学・医療社会が実現した健康長寿ユートピアで発生し得る倫理的社会的心理的問題に関する教訓を得ることができるだろう。

以下、『ハーモニー』の舞台設定と物語を概観し、その世界で生じている多様な倫理的問題を列挙する。そして結論として筆者らが考える医療と医療に対する適切な態度を論じ、我々はあらゆる犠牲を払ってでも完璧に健康な社会を目指すべだという主張に反対する。我々が知りえた範囲では、本作を生命医療倫理の観点から分析した論考は国内外で発表されていない。本作で展開されている意識に関する定義や理論、機能については言及しない。今回は後述する本世界の不安要素である自殺企図や自傷自害行為をなくし、世界の破滅を回避するために人々の自己意識、自我、意志、つまり「私」をすべての人間から奪うことの是非という観点からのみ意識の問題に言及する。また主に健康と医療に関して考察し、平和維持については生命保持の観点からのみ触れる。

本論で伊藤計劃著『ハーモニー(新版)』(2014年、ハヤカワ文庫、東京)に基づいて議論を展開し、文中の引用は特に断りがない限り同書からのものである。

 

2 伊藤計劃著SF小説『ハーモニー』に描かれた世界

28才女性の霧慧トァンが『ハーモニー』の主人公である。本作はトァンの一人称で語られる。時代は2073年。トァンは世界保健機構(WHO)監視官で、全世界における生命権の保全の監視、ある社会が構成員の健康的で人間的な生活を保障しているかを確認し、必要に応じて介入することを任務にしている。彼女はある事件がきっかけで一時的に任を解かれ日本に帰国する。その直後に世界で6000人以上が同時に自殺を試み、彼女の高校時代の親友を含む2796名が死亡する事態に遭遇する。さらに正体不明の犯人から「一週間以内に人を一人以上殺さなければ、あなたを死なせる」との脅迫が世界中の人々に届く。トァンが同時多発自殺の原因と犯人を、自殺と他殺が横行する混乱した社会において独自に捜査するのが本作のメインストーリーとなっている。

主人公たちが生きる社会は、健康と生命の保全を何よりも優先すべき価値とするイデオロギーが浸透した世界である。この世界は複数の、提供される医療システムについて一定の合意に至った人々の集まりである医療合意共同体(生府)が集合して構成されている。医療合意共同体はAIとICTとnanotechnologyを含めた超高度医療技術を活用したスーパー医学を実現している。同共同体は

1 WathchMeという恒常的体内監視システム装置によるネットワーキング

2 安価な薬剤および医療処置の大量医療消費システム

3 未病のための生活パターンに関する助言提供(予防医療的介入)

が3つの大きな特徴になっている。その基礎にはLifeism(生命主義)がある。本主義は生命至上主義であり、構成員の健康の保全を統治機構にとって最大の責務と見なす政治的主張、もしくはその傾向であり、呪術の3点を基本とするライフスタイルを、人間の尊厳にとって最低限の条件と見なす。

同共同体群は世界の8割の地域に及んでいるが、一部地域は医療合意共同体に属していない。それらにはトゥアレグ、ニジェール、そしてイラクの生命圏ゾーンの外部(アブー・ヌワース)が含まれる。これら地域は今現在の我々の世界と同様、人々は普通に風邪をひき、頭痛を感じ、癌にかかり、60か70そこらで死んでいく。

医療合意共同体において、人々は身体が成長期を終えると人体にWatchMeというプログラムを注射によってインストールする。WatchMeは分子レベルで絶えず人体の血中のRNA転写エラーレベルや免疫的一貫性の監視(モニター)を行う。メディケア(個人用医療薬精製システム)という一家に一台の「薬品工場」が、WatchMeから送られたデータに基づき、血中のタンパクから病原性物質の駆逐に必要な物質(医療分子(メディモル): nanotechnologyの成果)を即座に合成し、異常を起こしたエリアにピンポイントで送りこみ人体に有害な物質を即座に排除する。メディモルはまた身体の恒常性を計測して警告を発する。

メディケアは一種の人工知能(AI)であり、瞬時に自律的自動的な医療介入を個々人に対して行っている。医療が万能で市民の健康管理がほぼ完ぺきに実現している。ちなみに医療専門職は全く登場しない。誰も病むことのない、高齢でも極めて活動的で健康的である、事故と老衰以外では人が死なない、健康長寿世界が確立している。健康コンサルタントといっしょに、個々人のライフデザインがなされる。

上記の医療合意共同体は過去の反省から生まれた。2019年アメリカで大暴動が起き、民族虐殺が勃発、世界の混乱に乗じて世界中に核弾頭が流出し核テロリズムが頻発した。放射能で大勢の人々ががんを発症し、同時に放射能のために未知のウイルスが発生し多くの人々が感染し病に倒れた。この事態は「大災禍」と呼ばれている。急迫な健康危機に直面した世界は、共同体構成員の健康を第一に気遣う医療合意共同体を基本単位とした医療福祉厚生社会を確立したという。本世界では地球上のほとんどの世界から混沌と野蛮、虐殺はなくなり、平和と健康長寿と博愛のユートピア世界が実現した。

最後に、物語の途中で明らかになるが、『ハーモニー世界』は寡頭支配体制をとっている。一握りの高齢者らによって世界の8割の人々の生命と運命が操作されている。その支配者たちは「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」と自称している。彼らに共同体構成員を利己的に搾取する意図はなく、純粋に善意から健康長寿社会を創造していた。彼らはひたすら「大災禍」(Maelstrom)の再来を防ぎ、人々の健康長寿と世界の平和を意図している。そこに悪しき意図はない。支配者もその関係者たちは、病と死と混沌の再来をひどく恐れている。

 

3 『ハーモニー世界』の健康長寿(生命)至上主義がもたらした社会的帰結

 

『ハーモニー世界』の医療合意共同体は地球の8割を占め、同構成員の健康長寿と生命保持を最大で唯一の目標としている。同世界は徹底した健康至上主義(ヘルシズム)または健康長寿至上主義(作中では「lifeism」との造語があてられ、日本語では生命主義または生命至上主義と説明されている)を実践しこれからの2セッションに述べる好ましからざる諸状況が生じている。

第一に極端な社会の健康長寿志向は、人々の心に健康崇拝を生んでいる。この世界では健康長寿つまり可能な限りの健康長寿延伸が何よりも大切とみなされている。健康はスーパーバリュー(super-value)であり、世界の人々をあるべき姿と進むべき道を示す価値(worth)とみなされており、その帰結として健康であることが道徳的責務と化した世界である。つまり健康的であることと倫理的であることが同義となった世界である。主人公トァンの高校時代の友人で、『ハーモニー世界』を若い頃から嫌悪し、物語でも重要な役割を演じる御冷ミァハは言う。

 

「「健康」って価値観がすべてを蹂躙しようとしている」

 

医療合意共同体の過度な健康志向に批判的な兵士の一人は主人公のトァンに言う。

 

「お互い仕事で喰っていることになっているんだしな。油もコレステロールも一切のモラルも気にせず、腹に詰めこもうじゃないか」

 

ここではコレステロールと倫理的懸念が同一次元で語られていることに注目したい。脂質をとることが仕事以外の機会であれば倫理的に非難されることが示唆される。またコーヒーの中毒性を問題視し禁止すべきと主張する「善き」共同体員の女性は言う。

 

「カフェインの摂取は道義的に間違ってはいないでしょうか」

 

しかし主人公トァンは、日本を自分の身体を健康に保つことに取り憑かれた国と感じている。主人公トァンは嫌悪を抱きつつ、さらに述懐する。

 

「かつては気にされることがなかった様々な嗜好品が、医学の大いなる手によって有罪のリストに組み込まれて、次々に社会から追い出されて行っている」

 

「医療分子の発明は、身体と規範とを同一のテーブルに並べてしまった・・・身体が発するシグナルに基づいて、ソースコードがモラルを発言する・・・この地球の八割の人間が受け入れるべき規範としてのコード」

 

不健康または不健康を引き起こす可能性のある物質摂取は罪になる。この状況は『ハーモニー世界』における健康に関するパターナリズムが引き起こす滑り坂状態(Slippery Slope Situations)だと指摘することができるだろう。同時に健康長寿で命を守る医学と医療は信仰にすらなっている。対象にはアスクレピオスやヒポクラテスがいる。

健康に悪いカフェインや動物性脂質を忌避し、健康によい食物のみを摂取しようとする共同体の人々の傾向は、現在の健康志向においてしばしば見られるものだろう。そして病的と呼んでいいこだわりを持つ人々も存在する。また完全な健康と可能な限りの長寿を目指すために、健康は完全にリスクのない状態と見なされる。健康な生活は良い人生と同義語となり人生のゴールとなった。『ハーモニー世界』では、健康に生きることが善く生きることなのだ。

健康リスクをゼロにする手助けも徹底している。生活パターンデザイナーなるプロフェッショナルも存在し、人々の日常生活の送り方を決定している。 興味深いことに現代社会の救急救命センターは「救急倫理センター」と呼ばれるようになっている。主人公トァンと友人らが餓死による自殺を企図したとき、発見後に搬送されたのがその一つであった。

この表現からも、生命保全、医療、倫理が不可分になり、健康長寿と善(good)が同一視される世界が出現したことが示唆される。完全な健康の維持と可能な限りの健康寿命延伸の先には、不老不死への願望の存在が示唆される。

第二に『ハーモニー世界』では、市民たちは社会のリソースとして社会維持のために健康で長生きに生きることを義務として要求され、教育され続けている。大災禍後の人口減少社会では避けられない一面はあるかもしれない。しかし自分のためではなく社会のために生きる、共同体維持のための手段として存在するという意味で、市民たちは「モノ化」されている。そして大部分の市民は共同体員として健康であるという責務をなかば進んで果たしているようにみえる。

 

主人公トァンは説明する。

 

「リソース意識。人はその社会的感覚というか義務をそう呼ぶ。または公共的身体。あなたはこの世界にとって欠くべからざるリソースであることを意識しなさいって」

 

この世界では身体はもはや個人のものではない。社会のものとみなされているのだ。『ハーモニー世界』において、個人は社会の一部つまりリソースとなり個人の体は社会の共有物と化している。そして生き方が他者によって生命維持最大化のためにデザインされている。子供や若者を中心としてこのようなリソース意識に反感を持つ人々も一部いた。高校生の頃のミァハは「自らの身体が、そのまま自らの身体である世界」、社会のものでも規範のものでもない、自分だけの身体を望んだ。

第三に、公的存在になった当然の帰結として、個人のプライバシーは失われた。医療合意共同体の構成市民は健康のために自らを厳しく律することが社会的に求められるだけでなく、己の健康を常に証明し続けなければならない。健康保全状況を含む個人情報が他者に公開され続ける世界となった。装着したコンタクト・レンズ上に「拡張現実」と呼ばれる公開情報が掲示され、自分の名前、年齢と職業、社会評価点が常に対外的に提示される。地域倫理委員会は個々人の健康状態や生活習慣を参考にして評点をつけ点数は公開される。つまり、常に健康という観点から評価され比較される世界が展開している。

個人情報を表示しないと、他の人に白眼視される社会である。健康な人は信用できる人であり、健康でない人は信用できない人と思われる。しかしミァハは友人たちに言う。

 

「みんなきっと疲れている。自分のことをいつもみんなに知らせてまわらなきゃいけない社会に。自分が健康であること、健康に気を使っていることをみんなに知らせてまわらなきゃいけない社会に」

 

参考までに、同時多発自殺を引き起こした犯人が「一週間以内に人を一人以上殺さなければ、あなたを死なせる」と宣言するまで、この『ハーモニー世界』では「他者とは本来的に予測のつかない気持ちの悪いものだという本質が忘れられていたと述べられる。この宣言によって、目の前の他者がいつ自分を殺そうとするかわからない状態に社会は陥った。

最後に、健康長寿を最大限追求する世界では、医学的に最適な身体が追求された結果、個人の身体的多様性は失われた。そして「標準化された」人体という妄想が実現したのである。トァンはこの標準化された世界について幾つか感想を述べている。

 

「WatchMeによるによる恒常的健康監視と、健康コンサルタントの助言によって、太りすぎも痩せ過ぎも、ほぼ完全に日常から駆逐されてしまった」

 

「「標準化された」身体という妄想を社会常識にまで高めてしまった」

 

「同じだ。誰も彼もが」「日本人が医学的に均一化された光景の異様さを、いまわたしは味わわされている」

 

「肥満や痩身は恐ろしく目立つ世の中・・・許容される体格の幅は年々タイトになってきている」

 

標準から外れる者が極めて生きづらい世の中である。そして、たとえこのような生活をやめたくても、社会の圧倒的な空気のためにもはややめることこができないかもしれない。トァンは、世間の空気があまりにも手ごわい関門になっていると示唆する。

 

4 健康長寿を実現するために用いられる倫理的に疑わしい手段

 

ここまで、『ハーモニー世界』を紹介し、その健康長寿至上主義がもたらした健康崇拝、

医学医療信仰、健康の倫理問題化(moralization)、健康と善の同一視、健康維持の義務化、

個人の社会リソース化、主体のモノ化、プライバシーと身体性多様性の消失、そして他者にデザインされたライフスタイルを紹介した。これらの状況はすべて倫理的観点からみて問題をはらむ。なぜなら結果的に人生における自由がほとんど奪われているからだ。また、あまりにも価値一元主義(monist)的であり完璧主義(perfectionist)的であるからだ。結果、『ハーモニー世界』の健康長寿追求には際限がなくなっている。しかし倫理的懸念はこれらだけではない。以下では世界の健康長寿を実現するために『ハーモニー世界』が用いている倫理的に疑わしい手段や方針を幾つか指摘する。

第一に医療提供の完全ルーチン化がある。Watch-Me、メディケア、メディモルの三点セットによって、診断、治療、健康指導すべてが完全にルーチン化し自動化、「瞬時」化している。当然ながら自己決定はどこかに行ってしまい、もはや治療を拒否する権利という概念は存在しない。すべての医療介入は「当然のこと」と化している。成長期が終わると既成事実としてWatch-Meがインストールされ、すべてが始まる。WatchMeをインストールしないという選択も全体主義的な『ハーモニー世界』にはないようである。診断を受けAIが決定した治療を受けるのは当然である。

診断と治療がルーチン化自動化し、または医療費が公的にカバーされると、一層それを使用するように周りから個人に対して見えない圧力が掛かることが容易に想像される。『ハーモニー世界』では、安価な薬剤および医療処置の大量医療消費システムが確立しており、本作の共同体の構成員が、採用されている医療システムに従うよう見えない形でプレッシャーを受けている可能性はある。WatchMeを体に入れない、medicareを家に置かない、またはメディモルを予防や治療に用いないという、いわゆる診療拒否は白眼視されるだろうし、ほとんど不可能であろう。共同体構成員はそこで提供される医療システムに合意していることが建前になっているが、その合意がどこまで自発的なものかは不明である。少なくとも本作の何人かの主要登場人物は受け入れていない。

第二に共同体員が常に健康維持行動を行い、同時に社会を健康的医療的観点から最適な環境にするために、隠微で巧妙な手法が採用されている点である。この世界では「健康になれ」という一方的で高圧的な強制や命令はない。無理強いはないのだ。しかし人々は健康増進の方向に巧みに仕向けられる。幼少期から、人間の本能的で動物的で衝動的で感情的で結果的に不健康な状態をもたらす可能性の高い性向を抑え込むように仕向けられることになる。そして自分の意思で進んで健康を志向するように仕向けられる。『ハーモニー世界』は自分の裡(うち)から、「自発的」に規範を守ることを徹底して求める社会であり、このような要請は個人の内面に軋轢を生むだろう。単純で高圧的な強制でないために、面と向かった反抗や拒絶は逆に心理的に困難になる。

他の人々のように内面化できないときには、罪悪感を生むか、自分だけがダメだと感じさせられるかもしれない。自己不全感も生じよう。社会規範を受け入れられない自分に疎外感を抱くかもしれない。そして自由は外からではなく内からも失われる。常に自分が自分を監視するのだ。

社会的規範の教育だけではなく、社会的評価(Social assessment)は人々のインセンティブになるだろう。医療記録を含む経歴が社会評価点の根拠に用いられる。自分のこと、自分の健康努力、自分の健康状態をいつも他者に知らせ続けなくてはならない世界では、多くの人々はそれを可能な限り上げることを望むのではないだろうか。友人や家族、職場からのピア・プレッシャーも当然存在すると予想される。そして明文化された法やルールではなく「空気」による心理的支配が存在する。世間の空気がすべてを決めていく。まず建築物についてのトァンの感想には次のようなものがある。

 

「派手な色彩の建築はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、何の個性もなく、それ故に心乱すこともない町だった」

 

実は明示的な飲酒禁止ルールは存在しないことも明らかになる。トァンと話すある兵士は次のように述べる。

 

「俺は調べてみた。酒を公式に禁止している規則がある生府をな。この地球上に何千とある生府のうち、たった26だ。26の生府だけ、そこの合意員に対する合意契約集にアルコール類の摂取を禁ずると書いてある。それ以外は、ただ『空気』が支配しているだけなんだ。常識としてあるだけなんだ、酒を飲んじゃいかんってのは」

 

加えて、正面切って反論したり反抗したりすることを困難にする善意とやさしさも存在する。もとより悪意はない。『ハーモニー世界』は冷たい監視社会ではなく、暖かな見守り社会である。地球上のすべての人々を善意と優しさからWatchMeで医療共同体のサーバーに繋ごうとする。それは慈母によるファシズムとも表現される。しかしミァハの養母のように感謝する人もいることは忘れてはならないだろう。彼女はこう考えている。

 

「WatchMeに警告されてしまいましたわ。対人上守るべき精神状態の閾値をオーバーしている、って・・・・私を内部から見守る視線があるというのは、ずいぶんありがたいことです」

 

だがトァンは「人類は今や、無限に続く病院のなかに閉じ込めらた」と考える。

 

さらなる優しさとしての情報規制があり、歴史、残酷なシーンや記述が削除され、個人の状態によって調節される。過去には問題視されなかった映像や描写も検閲される。倫理的にはパターナリズムと言って間違いないだろう。 大量同時多発自殺を引き起こした犯人が「誰かひとりを殺さなければ貴方を殺す」という声明を出し、その声明をテレビで読んだニュースキャスターを世界中の人々の前で殺したとき、人工知能が瞬時に検閲した。

しかしAIにどんなプログラムがされているのだろうか。個人を守るためだけでなく、共同体に都合の悪い情報は遮断されてしまう可能性がある。情報は操作されバイアスがかかり、時には虚偽の情報が捏造されるかもしれない。当局に批判的な情報もおそらく遮断されるだろう。ここで支配者側に悪意が芽生えたらどうなるか、不安に思わずにはいられない。

最後に問題に対する誤った対応があげられる。『ハーモニー世界』で若者を中心にした自殺企図や自傷行為が多発している。しかし実質的な世界の支配者らは、その真の原因を検討することなく、行為自体をなくすため今から述べる『ハーモニー・プロジェクト』を行っている。まるで有害な薬物の副作用に対して、その薬物の投与の中止や減量することなく、新しい薬物を追加処方して症状を消失させようとしている。まさに処方カスケードのようである。加えてこの誤った対応は後述する深刻な副作用を生んだ。脳研究者の大学教授、85歳の大学教授冴紀ケイタは言う。

「生府社会の自殺率の指数的な上昇は確かに不安要素ではあるが、いずれは薬物や革新的なセラピーの開発と法制化で制御可能だろうと考えている人間は多い」

 

「社会的に重要なリソースであるはずの自己を破壊することは、何よりも忌むべき態度だ。そうなる前に周囲の人間が兆候を見つけ出し、重セラピーにかけてやらにゃいかん。気遣い社会だな」

 

しかし自殺の原因はまさに共同体社会の体制にあった。治療されるべきは社会の側であった。『ハーモニー世界』における、生命主義と相互監視と生活指導、要配慮個人情報共有と持続的評価、パナータリティックでやさしい介入およびお仕着せの共同意思決定、善い人間(=他者に非常に思いやりのある健康長寿人間)であれという社会の要請に、耐えられない魂、社会にフィットすることのできない魂が、子供たちや若者に病と傷と苦痛を求めさせてしまっていたのだ。ある少年は生府社会を嫌悪し、自分には居場所がないと言って自殺した。ミァハは、人間は自分の本性や本能を抑圧しようとすると極めて脆弱な状態になると知っていた。しかし『ハーモニー世界』の支配者たちは、人間の心が理解できなかった。

 

トァンは冴紀ケイタに言う。

 

「限界なんじゃないでしょうか、互いが互いを過剰に慈しまなければならない社会は」

 

実は主人公トァン、その親友だったキアンを含む3名の女子高校生仲間も15歳の時に、社会に対する反抗心から餓死による自殺を試みていた。しかし自殺を企図する若者や自傷行為に走る子供らに対して、共同体の幹部と医学研究者たち(「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」)は、自殺企図者の精神を社会の価値観と一致させるために、彼等の脳に対して実験的介入を行った。

同グループの一員であり脳科学者のトァンの父親は、ミァハを含む死に向かって突き進む若者たち、とくに過食や拒食、またはじわじわと衰弱して死のうとする子供たちに対して、医療分子を用いて中脳の報酬系を操作し、脳内に社会と完璧なハーモニーを描くような価値体系を設定し、調和のとれた意志を人間の脳に持たせる実験を行った。この技術とシステムが『ハーモニー・プログラム』だった。

 

トァンは言う。

 

「(父が生み出そうとしたもの)それは生府のストレスに適応した、すべてがそうあるべき自明な人間」

 

支配者たちは、社会の正しさは自明なので、脳の操作によって「病んだ」若者たちの価値観を脳に介入することで変えようとしたのだ。社会と完全に一致した人間は、今の人間よりもアップデートされた完璧な人間(Homo perfectus,)と考えられた。しかし、これは明らかに一方的な洗脳行為であろう。そして現代社会では実施が許されない医学実験である。しかもその脳操作の副作用は自己意識喪失であった。結局この副作用のために、自殺企図・自傷する若者に対する「ハーモニー・プログラム」はいったん使用を遺棄された。

すでに述べたように『ハーモニー世界』は、健康長寿が最高の価値であり構成員はすべて健康長寿と世界の平和を維持する倫理的義務があることを自明の理としている。信仰対象の正しさは当然のことながら自明の理であろう。自明の理または自明の真実を主張する者が反省することは稀だろう。そこに疑いの念は生まれず内省することもない。自明な正しさのためなら、社会の規範を受け入れられない個人の意識や思考をいじっても正当化されると考えてしまう。ここに特定のことを自明の理を認識してしまう怖さがある。『ハーモニー・プログラム』はまさに未来世界のロボトミー(前頭葉白質切断術、Lobotomy)である。ロボトミーは不穏で錯乱する精神の原因に対処するのではなく、脳自体を破壊した。「自明」な価値を受け入れられない若者の脳の操作は、自明とされる価値に抵抗する若い批判的精神つまり意識を消滅されるという意味で、まさにロボトミー的であり本末転倒である。

 

5 結論 我々は完全な健康ユートピア創造を目指すべきか

 

『ハーモニー世界』は完全な健康ユートピア創造を目指し、その実現に成功した。それ自体は素晴らしい。しかし倫理的観点からみると、いくつもの深刻な状況が引き起こされており、同時に社会体制維持のために許容できない方法が採用されていることが明らかなとなった。あなたは『ハーモニー世界』に住みたいか。各自、自問していただきたい。我々は否と答える。なぜなら他のすべての価値あるものを犠牲にしてでも超健康社会を作るという考えに反対するからだ。なによりも結果的に個人からあらゆる自由を奪うからである。我々は多様で自己決定できる自由な「私」であることにこだわりたい。我々は時に「まつろわぬ民」になってもいい。たとえ善意からでも、結果的により健康になれるとしても、常にやさしく監視される見守り社会は望まない。基本は「leave me alone」(そっとしておいて)である。また『ハーモニー世界』では個々人の生き方に関する意思決定まで、なかば外注されている。常に共同の決定になっており、自分だけの個々人独特の(idiosyncratic)決定に基づく生き方ができなくなっている。

トァンは言う。

 

「絶えず個人情報を晒し、生府のディスカッションや倫理セッションには必ず参加して、しかるべき専門家の助言を受けながら合議で物事を決める」

 

脳科学者のトァンの父もかつて以下のように言っていた。

 

「みんなは、生府のみんなは決めつけてくれる人間が好きなんだ。何かを決めてくれる、決断してくっる人間のまわりには「空気」が生まれる」

 

しかし、この世にはひとりで決めるしかないことがある。「一人一殺」の要求に対する対応がそうであろう。この状況にみんな集まって話し合おうと呼びかける社会にトァンは呆れる。

 

「多くの生府は早速この件を登記するセッションの開催を合意員に呼びかけたけれど、出席率は芳しくないと聞く。当然だ、集まったところでなにを話し合えばいいというのだろうか・・・これは皆と相談して決めるべき事項ではない。どこまでも自分自身で決断しなければならない、孤独な選択なのだ」

 

一人で考え一人で決めることは時に非常に大切であり、その能力と意志を失ってはならないだろう。一人でその場で一度で自分の人生を決めることの重要性を忘れてはならない。

加えて我々は完璧である必要はない。まずもって完全な健康長寿人生の追求にはきりがないので、人生を台無しにしてしまう。かえって毎日の満足や納得や心の安寧が損なわれるだけだ。加えて社会的連帯が大切だからと言って、「常に他者に思いやりを持って」というような、他者と連帯感を持つことを強制されたくない。連帯という感情は他者との間に結果的に自然に湧き上があるべきものだ。目的として目指すものではない。さらには医療と倫理はあきらかに別物であり、この世には自明なものなどひとつもなく、健康であることは良いことだが善が健康と定義されてはならないと考える。健康を最高で唯一の価値とする価値単一主義(monism)は、価値多元主義者(pluralist)である我々は受け入れない。そもそも人間本性を考慮すれば、すべての人間が完全にリスクゼロという意味で健康になる、またはなろうと志すような社会の実現は無理ではなかろうか。実現が困難なことのために、大切な価値(自由)を失うのは許容できない。

我々は健康長寿な社会を否定しているわけではない。世界が病気と障害と苦痛に満ち、感染症でばたばた死んでいく世界は当然ながら望ましくない。しがたって健康を目指しつつも極端な健康崇拝と医療信仰がもたらす弊害の発生を防ぐ必要があるだろう。その回答は実は本作のかなりはじめの方に示されている。「程ほど」である。登場人物のひとりで医療合意共同体に属さない部族の男「トゥアレグの戦士」がすでに述べていた。彼はTuanらを「医療の民」と呼ぶ。以下に2人の会話を記す。

 

トァン 「我々があなた方トゥアレグと違うのは、全面的に神の御許にひざまずいているということね」

戦士 「そう、あなた方は程々ということを知らない。勢い余ってその信仰を我々に押しつける」.

トァン 「わたしたちも程々がいいの・・・・残念ながら、そういう人間はごく少数派」

 

自由と完全性は相性が悪い。完全志向は極端であり中庸を得ていない態度である。しかし、『ハーモニー』で描かれた世界体制でしか、健康長寿が実現できないならどうするか。幾つもの問いがある。人間に好きなようにさせておくと不健康になるとしたら、どうしたらいいだろうか。我々は外部からコントロールされないと、または見えない圧力による準自発的同意した場合も含むが、健康長寿にはなれないのか。我々が我々のままで、「自分らしい」「その人らしい」ままで、つまり「自由な私」のままでは、健康長寿社会を実現できないのだろうか。自由であることと健康であることは二律背反なのか。健康を病気になるリスクがゼロの状態と狭く定義すると二律背反かもしれない。しかし適切に包括的に健康というものをとらえれば、かならずしもそうではないだろう。また身体的に不自由でも精神的健全さを持つことは可能であるし、幸せになることもできる。また2つの価値が両立不可能な場合、自由の方を選択するという個人の自由があってもいい。自由でなければ人は少なくとも精神的健康を得ることはできない。

本小説『ハーモニー』のクライマックスでは市民の自殺と殺人が拡大し、全共同体の生命保全が危うくなる。その結果共同体のリーダーたちは、50年前の大災禍が再来することを恐れ共同体の全構成員の自己意識を消滅させてしまう。『ハーモニー』は一言でいえば、市民の健康長寿と生命保持のために彼らの意識(「私」)を消滅させる物語であった。その結果、世界は平和で人々の健康長寿は守られた。この結末は、我々の考えでは、人間が健康で平和に共存繁栄するためには、個々人の意識はあってはならないという強烈なメッセージだ。

我々はこの物語の終結に両価的(アンヴィバレント)な思いを抱く。たしかに不健康な食品と嗜好品が消え、つねに医学的に理想的なライフプランが提示されたなら、我々は今より集団として健康になるだろう。長生きもするだろう。自己意識を持ち自由に考え、異なる利害関心をもって行動する人間は、不健康になる可能性が小さくないだけではなく、他者と対立し争うことも増えるだろう。自由で多様な価値観の持ち主は異なる価値観の他者と葛藤を引き起こすであろう。自由な自己意識のせいで我々は不健康短命になり人間社会を崩壊させるかもしれない。であれば人々の意識を取ってしまえという立場も選択肢としてあり得るかもしれない。完全にナンセンスと退けることはできない。しかし我々はやはりこの決着のつけ方に賛成することはできない。自由な個人である「私」は、自分以外の何かの目的のために、利用され失われてはならないと考えるからだ。

『ハーモニー世界』では、健康であることが唯一倫理的であるとする価値単一的社会であった。一方我々は、自分が自分(ありのままの私)でありながら、つまり自由でありながら、同時に他者や社会と共存するための知恵を生み出す営みが倫理の重要な一機能だと考えている。自由な個人が他者と共存し、みんなが程々に幸せになるように行動することが、倫理的行動ではないだろうか。ここで何よりも大切な存在は自由な個人であり、自己意識であり、自分らしさである。それがたとえ社会存続のためであったとしても、何らかの目的のために手段として自由な個人が奪われてならない。そして完全ではなく程ほどであることが大切なのだ。無害原則を守り、中庸を得た生き方をして、健康にも時々気をつけて、他人に少しだけ思いやりをもって生きてゆけば、我々は程々に幸せでそれなりに長い人生を送れるのではないだろうか。とはいっても自由な個人が存在する限り、私という自己意識が不健康と早期の死を引き起こすかもしれない。しかし自分の自由な自己意識を失うくらいなら、そのような事態も受け入れたいと思う。

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